設計思想と実践の記録
イベントレポートには載らないこと。
クライアントへの報告書にも書かないこと。
なぜ、この問いから始めたのか。
なぜ、この方法を選んだのか。
実践してみて、何が見えてきたのか。
Behind the Practiceでは、Civic Weaveの実践を題材に、その裏側にある設計思想と判断のプロセスを記録します。
正解を伝えるのではなく、実践から生まれた問いや学びを共有する。
そんな場所を目指しています。

カテゴリー
設計思想
「街の記憶」と聞くと、古い写真や歴史的な建物、昔の地図のようなものを思い浮かべるかもしれません。
でも、街に残っている記憶は、それだけではないと思っています。
学生の頃によく通った店。
毎朝歩いていた道。
友人と待ち合わせをした駅前。
家族と何度も食事をした場所。
地図にも年表にも残らないけれど、私たち一人ひとりの中には、場所と結びついた記憶があります。
そして面白いのは、同じ街を歩いていても、見えている街は人によって違うことです。
ある人にとっては毎日の通勤路だった場所が、別の人にとっては休日に家族と訪れた場所かもしれない。長く暮らしてきた人と、最近この街を訪れるようになった人でも、そこに見えている風景は違います。
だとすれば、「街の記憶」とは、いったい誰のものなのでしょうか。
2025年度、東京の高輪ゲートウェイを舞台にしたリビングラボで、私たちはこの問いに向き合いました。
テーマは、「街の記憶の可視化」。
街にまつわる記憶を集め、参加者それぞれの視点から「ビジュアルマップ」という形にしていく、全4回のプログラムです。
ただ、私たちがつくりたかったのは、高輪の歴史を正しくまとめた地図ではありません。
一人ひとりが持っている街との関係を持ち寄ることで、これまで気づかなかった街の見え方に出会えるのではないか。
そして、過去の記憶について話すことが、これからの街について考えるきっかけになるのではないか。
そんな仮説から、この実践は始まりました。

「街の記憶を可視化する」。
そう言われても、最初から何をすればいいのかイメージできる人は、そう多くありません。
そこで今回のリビングラボでは、いきなり高輪の街を歩いたり、昔の写真を集めたりすることからは始めませんでした。
最初に取り組んだのは、自分の中にあるものを、見える形にしてみることです。
第1回では、レゴ®シリアスプレイ®を使いました。
自分の経験や考えていることを、レゴ®ブロックを使って形にする。そして、できあがったモデルを見ながら、その意味を他の参加者に話してみる。
頭の中では分かっているつもりでも、いざ形にしようとすると、「自分は何を大切にしているんだろう」と改めて考えることになります。
そして、形になったものを他の人と一緒に見ると、
「これはどういう意味ですか?」
「そこが大事なんですね。」
「私は同じことを、少し違うふうに捉えていました。」
と、言葉だけで話していたときとは違う対話が始まります。
ここで体験してほしかったのは、レゴ®ブロックを使うことそのものではありません。
自分の中にあるものを外に出し、他者と一緒に見ることで、それまで見えていなかったものについて話せるようになる。
その「可視化する」という行為の力です。
その体験をしたあとで、東海大学 情報通信学部の長谷川恭子先生から、ビジュアライゼーションの考え方や実践について学びました。
長谷川先生が専門とする「可視化」は、情報をきれいに見せるためだけのものではありません。複雑な情報を、人が見て、理解し、考え、そこから情報を引き出していくための技術でもあります。東海大学
ここにも、プログラムとしての意図がありました。
最初に「ビジュアライゼーションとはこういうものです」と知識として説明するのではなく、まずレゴ®シリアスプレイ®を通して、自分の中にあるものが「見える形になる」ことを体験する。
そのあとで長谷川先生のレクチャーを聞くことで、
「あのとき自分たちの間で起きていたことには、こういう意味があったのか」
と、体験と考え方がつながっていく。
体験してから、理解する。
これを、4日間の入口に置きました。
今回のプログラムでは、ビジュアライゼーションを専門とする長谷川先生の知見と、私たちが培ってきた対話やリビングラボの設計を組み合わせながら、4日間のプロセスを組み立てていきました。
そして次に参加者が向き合うのが、高輪という実際の街です。
ただし、ここでも「街を歩いて、面白いものを探してきてください」とはしませんでした。
自分たちは、この街の何を見えるようにしたいのか。
そのためには、どんな情報が必要なのか。
それは、誰にとって、どんな意味を持つのか。
そんな問いを持って、街へ出ていく。
第1回でつくりたかったのは、ビジュアルマップをつくるための「技術」ではなく、街を見るためのレンズだったのだと思います。
4日間のプログラムを振り返ると、もうひとつ大切にしていたことがあります。
それは、最初に考えたことを、そのまま最後まで完成させないことです。
第1回で、可視化することを体験する。
第2回では、VR/ARやフォトグラメトリといった技術にも触れながら、「何を可視化したいのか」「そのために何を集めるのか」「誰の何の役に立つのか」を考えたうえで、実際に街へ出ました。
すると、机の上で考えていた高輪と、実際に歩いて見えてくる高輪には、少し違いがあります。
知らなかった場所に出会う。
気になっていたものが、実際にはそれほど重要ではないと気づく。
逆に、何気なく通り過ぎそうなものに、誰かが強く反応する。
街を歩くことで、最初に持っていた問いそのものが変わっていきます。
第3回では、集めてきたものを大判の地図の上に置き、ビジュアルマップのプロトタイプをつくりました。
ここでも、いきなり完成形を目指しません。
「なにを」「なんのために」「どうやって」可視化するのか。
実際につくりながら考えていきます。
すると、言葉で話していたときには見えなかったことが、また見えてきます。
「情報が多すぎて、何を伝えたいのか分からない。」
「この視点は面白いけれど、誰にとって価値があるんだろう。」
「そもそも、自分たちは何を見せたかったんだっけ。」
つくってみることで、問いが生まれる。
その問いについて話すことで、またつくり直す。
そして第4回では、できあがったビジュアルマップを他者に見てもらいました。
発表して終わりではありません。
「こんな見方もあるのではないか。」
「ここには、別の記憶もある。」
「この視点をもっと広げられそうだ。」
他者の反応を受け取ることで、また街の見え方が変わっていきます。
つまり、この4日間は、
考える → 可視化する → 対話する → 問い直す → また可視化する
というプロセスを、何度も繰り返すように設計していました。
一直線に答えへ向かうのではなく、行ったり来たりする。
私は、この「往復」がとても大切だと思っています。
ワークショップでは、ときどき「最初に出したアイデアを、最後に完成させる」ことが目的になってしまいます。
でも、街のように複雑なものを扱うとき、最初から正しい問いや答えを持っていることの方が珍しい。
実際に街を見る。
つくってみる。
誰かに見せる。
違う意見を聞く。
そのたびに、自分たちの見方を少しずつ更新していく。
私たちが設計したかったのは、ビジュアルマップそのものではありません。
可視化と対話を何度も往復することで、参加者自身の「街の見方」が少しずつ変わっていくプロセスでした。

今回つくったビジュアルマップは、完成した地図そのものが目的だったわけではありません。
誰かの頭の中にある記憶は、そのままではその人だけのものです。
けれど、地図の上に置いてみる。写真や言葉と組み合わせてみる。ひとつのビジュアルとして表現してみる。
すると、その記憶を他の人も見ることができるようになります。
「ここ、私もよく通っていました。」
「そんな場所があったんですね。」
「私は同じ場所を、全然違うふうに見ていました。」
一人の記憶が見える形になることで、別の誰かの記憶が引き出される。
そこから、また対話が始まります。
つまり、ビジュアルマップは単なる成果物ではありません。
つくる過程で、自分と街との関係を振り返ること。
他者が見ている街と出会うこと。
そこから、新しい対話を生み出すこと。
ビジュアルマップは、そのための「対話の媒介物」でもあったのだと思います。

4日間を通してつくられたビジュアルマップを見て、面白いと感じたことがあります。
同じ高輪という街を扱っているのに、出来上がったものがまったく違うのです。
街の歴史や変化に目を向ける人もいれば、そこで起きた出来事を追いかける人もいる。
店や場所の移り変わりに注目する人もいれば、「どこで、誰と、何を食べたか」といった個人的な経験から街を捉える人もいる。
どれも、同じ高輪を見ています。
けれど、そこに描かれている「街」は違います。
これは、単に参加者の興味が違ったということだけではないと思います。
今回のプログラムでは、「高輪とはこういう街です」という共通の理解を先に与えて、そこから意見を出してもらうことはしませんでした。
自分の経験から問いを立てる。
実際に街を歩く。
他者の視点に触れる。
集めたものを地図の上に置いてみる。
そして、もう一度「自分たちは何を見ようとしているのか」を問い直す。
そのプロセスを何度も繰り返した結果、それぞれのチームなりの「街を見るレンズ」が生まれていったのだと思います。
だから、ひとつの正解に収束しなかった。
むしろ、収束させないことに意味がありました。

街は、建物や道路、施設だけでできているわけではありません。
そこで暮らした人。働いた人。通り過ぎた人。遊びに来た人。
それぞれが場所と関わりながら過ごしてきた時間が重なって、私たちが「街」と呼んでいるものができています。
だとすれば、街について考えるときにも、一つの「正しい見方」をつくる必要はないのかもしれません。
街はひとつでも、そこにある記憶や見方はひとつではない。
異なる見方を持ち寄ることで、自分だけでは気づかなかった街の姿が見えてくる。
それもまた、複数の人が一緒に街について考える意味なのだと思います。
まちづくりの場では、未来について直接問いかけることがよくあります。
「この街に、どんなものがあったらいいですか?」
「これから、どんな街になってほしいですか?」
もちろん、それが必要な場面もあります。
ただ、未来についていきなり聞かれると、出てくるものは「欲しいもの」や「してほしいこと」になりがちです。
公園がほしい。
カフェがほしい。
イベントを増やしてほしい。
それぞれ大切な意見ですが、それだけでは、なぜその人がそう思うのかまではなかなか見えてきません。
今回のリビングラボでは、未来の高輪について考えるために、あえて「記憶」を扱いました。
どこへ行ったのか。
そこで何をしたのか。
誰と過ごしたのか。
どんな風景を覚えているのか。
一見すると、未来のまちづくりとは遠回りに見えるかもしれません。
でも、具体的な経験をたどっていくと、その人と街との間にあった関係が見えてきます。
例えば、
「昔は、このあたりで近所の人とよく話した」
という記憶があったとします。
大切なのは、その風景をそのまま再現することではありません。
なぜ、そこで会話が生まれていたのか。
立ち止まれる場所があったからなのか。
日常的に顔を合わせる用事があったからなのか。
誰かが人と人をつないでいたからなのか。
記憶の奥にあるものを考えていくと、その人が街に感じていた価値が少しずつ見えてきます。
未来へ引き継ぎたいのは、昔の街の形そのものではなく、そこで育まれていた価値なのかもしれません。
これは、私たちが市民参加の場を設計するときにも大切にしていることです。
「こうしてほしい」という意見だけを集めるのではなく、
なぜ、そう思うのか。
その人にはどんな経験があって、どんな場所との関係があって、その意見が生まれているのか。
そこまで見ていく。
そうすると、一見すると異なる意見の間にも、共通して大切にされている価値が見つかることがあります。
逆に、同じ「公園がほしい」という言葉でも、その背景にある期待は人によってまったく違うかもしれません。
だから、参加者の声をたくさん集めることだけが、市民参加ではないと思っています。
一人ひとりの経験から、その人と街との関係を読み解き、そこにある価値を未来の選択肢へつないでいく。
今回「街の記憶」を扱ったことも、そのためのひとつの方法でした。
今回の4日間を振り返ると、私たちが設計していたのは、ワークショップそのものでも、ビジュアルマップという成果物でもなかったのだと思います。
自分の中にある経験や考えを、まず見える形にしてみる。
問いを持って街を歩き、それまで気づかなかった場所や出来事に出会う。
見つけたものを他者と持ち寄り、つくってみる。
そこで生まれた違いや迷いについて対話し、もう一度、自分たちが何を見ようとしているのかを問い直す。
そして、できあがったものを他者に見せることで、また新しい見方に出会う。
4日間を通して繰り返していたのは、そんなプロセスでした。
最初から「高輪とはこういう街だ」という答えがあったわけではありません。
むしろ、可視化と対話を何度も往復することで、参加者それぞれの「街の見方」が少しずつ変わっていく。
私たちが設計したかったのは、その変化が起こるプロセスだったのだと思います。
これは、私たちがリビングラボを設計するときに大切にしていることでもあります。
参加者からたくさんの意見を集めることだけが、市民参加ではありません。
何かについて話し合って、ひとつの答えを出すことだけが、共創でもありません。
自分と街との関係に気づく。
自分とは違う誰かの見方に出会う。
それまで当たり前だと思っていた街を、少し違う角度から見てみる。
そして、「この街に自分も関わることができる」と感じられるようになる。
そうした小さな変化の積み重ねが、その後の街との関わり方を変えていくのではないかと思っています。
今回、「街の記憶」を扱ったことにも、その意味がありました。
記憶は、過去を懐かしむためだけのものではありません。
そこには、人がその場所で何を経験し、何を大切にしてきたのかが残っています。
それを誰かと共有し、違う記憶と重ね合わせてみることで、その街が持っている価値を捉え直すことができる。
そして、その価値は「これからどんな街にしたいのか」を考えるための材料にもなります。
街は、これからも変わり続けます。
建物が建ち、風景が変わり、そこで過ごす人も変わっていく。
だからこそ、過去の姿をそのまま残すことだけではなく、そこで育まれてきた人と場所との関係や、その中にある価値を、次の街へどうつないでいくのかを考えたい。
街をつくることは、新しいものをつくることだけではない。
人と場所との間に積み重なってきたものを、未来へ編みついでいくことでもある。
高輪での実践は、そんなことを改めて考える機会になりました。

今回の実践を振り返って、改めて感じるのは、街について考えるための入口は、必ずしも「未来」でなくてもいいということです。
自分がその場所で何を見て、誰と過ごし、何を覚えているのか。
そんな一人ひとりの記憶から始めることで、その人と街との間にある関係や、大切にしてきた価値が見えてくることがあります。
そして、それを見える形にして誰かと共有すると、自分だけでは気づかなかった街の見方に出会える。
今回、長谷川恭子先生の「可視化」の専門性と、私たちが取り組んできた対話やリビングラボの設計を組み合わせながら試みたのは、そんなプロセスでした。
過去を振り返ることから、未来の街を考える。
これからもCivic Weaveでは、答えを急いでつくるのではなく、人と場所との間にすでにあるものに目を向けながら、まちに関わり続ける関係性をどうつくっていけるのか、実践を重ねていきたいと思います。
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